失言
時間が未来へと進んでいる現実世界では元に戻らないものがほとんど。LINEにアップしてしまった返信、送信ボタンを押した後のメール、尻から出た音。両手と膝をついて吠えてももう元には戻れない。
中でも口から飛び出してしまった失言ほど恐ろしいものはない。非情なライブ感にうち震えるばかりだ。普段思っていたことがつい口から飛び出してしまうこともあれば、狐が憑いていたのではあるまいか?と、自分でも驚くような言葉が飛び出すこともある。出た後一瞬のフリーズ、のちどうにか取り繕おうとするあの気まずさ。
人生を振り返ると様々な失言の思い出が私の胸をかきむしる。猛スピードでダッシュして、記憶ごと追い抜きたいと思うも、膝がピシッと痛んでかなわず。
そんな私なのに、人の失言は是非パトロールしたい。
沖縄の山羊料理を出す近所の食堂でのこと。ほぼ満席状態の店内、1人で席に着く。隣のテーブル席には地元のおばあちゃん三人とおじいちゃんが一人。流暢な方言でやんやと盛り上がっている。まあ、ほとんどが噂話。内容は聞き流して久しぶりの方言のリズムが面白くて、ずっと聞き耳を立てていた。そうしたら、私の斜め前のお婆ちゃんの口から「ナイチャー」という言葉が聞こえたのだった。しかもうつむきがちにちらりとこちらを見た気がしたのだ。こそこそ話の気配あり。
なになに?もしかして私のことをナイチャーと言っているの?(ナイチャー=沖縄県以外の日本人のこと。内地の人という意味)沖縄でこの言葉は県内の人と外から来た人を区別するときに使う言葉。形容詞次第で意味合いも変わるがときに差別にもなりうる言葉だ。そして私は小学生の頃この言葉を言われてからかわれた。顔がシンプル系だったからだろう。今思うとなんちゃあないのだか、当時は言い返せなくて悔しかった。というか、なんて言い返せばいいの?
ええーっ、おばあちゃん、私沖縄の人なのになによーチラ見してたしやな感じー。それか、あれかしら?色白でハイカラって意味かしら?とにかく、後でなんでそう言ったのか聞いてみよう。
私は聞き耳を立てながらフーチャンプルーをいそいそと食べた。彼女たちの流暢な方言は懐かしく、面白おかしい言い回しは方言ならでは、と声音を聴きながら、検閲パトロール隊もシャキッと待機。
「はぁー美味しかったねぇ。はっさー島袋さん(仮名)たまにはこんなしてみんなで食べにこようねぇー。みんなで食べたらおいしいさぁ」そう言ってボス的な人が立ち上がった。チャンス到来。
「あのー、流暢な方言が懐かしかったです。久しぶりに聞きました。みなさんお近くの方ですか?」いつもより沖縄なまりを強調してゆっくりしゃべる私。
「そうよー、お姉さん。みんなここの人さあ」ボス
「そうなんですねぇ。そういえばさっき、ナイチャーって聞こえたんですが、もしかして私のことをそう言ったのかな?と思って気になって」私
「そうねぇ?そんな話ししたかねぇ?ねぇ、島袋(仮名)さん?」ボス
「さぁーどんなだったかねぇ。ナイチャーの話はしていないよぉ」島袋さん
「あんたの言葉聞いたらわかるさぁー。立派な島んちゅー(島の人)よねぇ」奥に座る長老ばあさん優しいつぶらな目でにっこり
「なんで、あんたにはそう聞こえたんだろうねぇ?話してないよぉ。今の若い人たちはとっても気にするよねぇ、この言葉。うちの息子の嫁も島袋さんの息子の嫁も内地出身よぉ。だからそんな差別する気持ちは私にはないさぁ。うちの息子もこの言葉使ったらとっても怒るよ」ボス
「あいや、じゃあ私の聞き間違いですかねぇ。昔よく言われたから、なんか気になってねぇ」顔ひきつるも笑顔努力、私
「ああ、じゃあやっぱりあなたが気にしているのよ。気にしているから、そんな風にとったんじゃないかねぇ」ボス説得力ある
「ああ、そうかもしれませんねぇ。はずかしいさあ。えへへ。気にしすぎだねぇ。けど、おばさんたちの方言があんまり懐かしくてついつい聞いてしまってねぇ。ふふふ」完敗のせこさまる出しまる裸、私。人懐っこそうに笑って善人アピール
「美味しいのいっぱい食べて帰ってねぇ。じゃあねぇ」ボス
「お先に失礼します」きっちり腰を曲げて、紳士なおじいちゃん去る。四人ともじゃあね、とさようなら。
一人気まずさとともに残された私。他のテーブルの人は聞き耳立ててたよね。もう、皿の上の冷めたフーチャンプルーをむしゃむしゃ食べるしかない。またしても独り相撲の恥ずかしさに身悶えながら、私は心に決めた。失言パトロール隊撤退。永久退散。そして、私の失言マスターを許そう。自分を許せば、きっと人の失言も許せる。というか、解釈にも問題がある。というか、耳にも口にも問題あるよね、私。あと、根性、ね。
優しい地元のおじいちゃんおばあちゃんの正直でフラットなあり方はありのままの私を見せてくれた。もしかしたら、彼らは私を導いてくれるために天から遣わされた導師たちだったのかもしれない。ありがとう、島んちゅ導師の皆さん。
皿の上のフーチャンプルーを食べ終えお茶を一服。ふーっと一息。すると、心の黒い方から「えー、聞こえたよーほんとは言っていたんじゃないの?言ってたのに忘れちゃったんじゃなーい?」と、天邪鬼。
即席善人の仮面はすぐに剥がれた。
無理のないように、ちょっとずつちょっとずつ。うん