暮らしの中の旅日記 「旅の色」
「 白 」
簡潔・簡素・清潔・爽やか・清涼・空間・清純・潔さ
白いキャンバス
空間にいろいろなものを置いてみる。
すると、置いてみたものが浮き出してきて、その存在だけが浮かび上がって白は消える。
彼女の店は、ヘイスティングというイギリスの漁師町にある。
街というよりもタウン。歴史を感じる建物の構造を生かした店内には様々なお掃除用ブラシたちと、カトラリー類が並んでいる。整然としすぎず、崩れすぎず、誰かの美意識でいい具合に並んでいる様々な生活用品。
アンティークもあれば、古道具もあり、新しい製品たちも賑やかに並ぶ。
入った途端に、嬉しくなってしまう。
昔のままの天然の素材を使って作られた道具ってなんて綺麗なのだろう。
たくさんのブラシたちがぶら下がっている店内を歩きながら、店主は一体どんな人なのだろうと私の目はぐるぐる。あっちを見たり、こっちを見たり。戻って誰もいなかったカウンターへ行って声をかけてみようか?それとももっと奥の方へ行って何があるのか見てみようか?
好奇心に負けて奥へ奥へと。
カウンターに人の気配を感じて「店内の写真を撮ってもいいですか?」奥の方から白い印象の人へ声をかけた。
「もちろん」
爽やかな声が返った。ドキドキしながら写真を撮って、なんてセンスのいい人なのだろう、暮らしを楽しむってなんて幸せなことなのだろう。胸は踊りっぱなし。いくつか好きなものを手に、カウンターへ
白いシャツに赤い口紅。
この店にぴったりの清潔で光溢れる白に、暮らしや人生を楽しむ赤。
ああ、ここへ来て良かった。
この街に連れてきてくれた友人にKISS
「黄 パンチあるマスタード」
なぜだい?
なぜ私にそんな威嚇をするのかい?
私はあなたに微笑んでいるのに。
ほら、あなたに笑顔という降参のしるしを見せて、ここにこうして立っているよ。
どうやってあなたにそれをわかってもらえるのだろう。
私が悪い人でなくって、なかなか楽しい人だってこと。
そんな天使のように愛らしいあなたの見せる、パンチある威嚇の表情。
あなたの祖母の首に巻いた布と、あなたの大好きな風船の色。そう、マスタードのように刺激的な辛さ。
私はもう、降参して笑った目を細めて、シャッターを切るしかなかったよ。
「OLD PEACH」
南フランスの歴史ある山の上の小さな村にて。
美術館を出たら、次の展覧会の案内が貼られていた。
OLD PEACHの壁に、みずみずしいピーチ。
この壁をかつてこの色を塗った頃には街は一体どんな風だったのだろう?
道行く人々のファッションは?
当時この美術館ではどのような展覧会が行われていたのだろう?
どこの国のどんな人の展覧会だったのだろう?
かつてのあたらしい色は、いつかのあたらしい色の下地になる。
そうして時代は変わっていくのだ、色の上に色を重ねて。
私たちは、今見える色だけを見ているけれど。
この展覧会が始まる頃には私は日本の南端の小さな島にいるんだな。
「西洋の藤色」
5月半ばの英国は、緑が萌えでて様々な花が咲き乱れ、それはそれは綺麗だった。
中でもこのウイステリアがふわーっとフェロモンを漂わせて、あちらこちらの壁に華を添えていた。
日本の藤の仲間だけれど、やっぱりこちらはウイステリア。
洋物の藤なのでありました。慎ましい藤色は気品があって、清楚で、ミツバチたちをぶんぶん集めて、見つめる人の心もふわっと包むのでした。
雨の多い英国の曇り空だからこそ、こんなに花と、花を見つめている私の境界線が曖昧になるのでしょうか?
せわしく動き回る私は、何度もこのウイステリアに包まれて、香りを胸いっぱいに嗅いでぐんっと充電したのでした。
「テラコッタ」
沖縄にもあるよ、テラコッタの色。
けれどなんだか違うよね。
このテラコッタは、ドライで、軽やかで、チーズをつまんで、高い鼻を「ふんっ」とならして、ウインクしそう。
色を添えている地衣類もなんだかブローチみたいに華やかだ。
私の知っているテラコッタは、水気を孕んでドスンとしている。
重い体で屋根を守って、家族が中で安らぐように、夜には水気を飛ばして屋内を涼しくしてくれる。
分厚くて、たまに緑色の苔を生やしたり、楽しそうな形をした多肉植物が育っているよ。
太陽に照らされた大地で育ったテラコッタ色が、水でこねられ熱を加えられて高いところで屋根を守る。
それを見ていると、元気が湧いてくる。
大地の持っている情熱を感じる色だから。
「夕暮れ薄ピンク」
サマータイムの夜8時。
英国田舎のtotnesの夕暮れ時間。
遅い夕暮れ、雨の匂い。
そろそろお家に帰らなきゃ。
初対面だったけれど、初めて会った気がしない。そんな夫婦の家へと。
散歩をして、馬たちと挨拶を交わし、少しおしゃべりをしてから短い距離をゆっくりと歩く。
まだよく知らない夫婦に遠慮しているせいか、夕食の手伝いもしないでほっつき歩いていることで肩身がせまいのか。
そのどっちも感じているのだろう。
ああ、もしかしたらいつだってそんな気持ちを心の隅に持ったまま、毎日を旅しているのかもしれない。
「ここにいていいのかしら?」
と。
そんなことを思い出す、夕暮れピンク色。
「ムックの黒」
獣臭と日向の匂い。
南仏の強い太陽の光で縮れた黒いむく毛。
私の大好きな、むくむく。
黒は吸収する色だ。
だからこの犬は私の愛も吸収してしまった。
新鮮なフルーツを求めて立ち寄ったファーム直販店。そこの真っ黒の車の陰から、うなり声が聞こえたので振り向くと、陰がムクッと立ち上がって「うぅうううう」と低く唸って威嚇した。
ブービェ・デ・フランダース
その黒い犬に恋をした私は、彼の前に座ってハートをあげた。
彼はそのハートを吸収して(黒はそんな色だから)、私に懐いた。
頭を寄せ合って、私たちは挨拶。
大きな大きな体は獣の匂いと、日向の匂いが入り混じって懐かしい。
黒く縮れた毛に手を伸ばしてなでながら指で地肌の熱を感じる。体温と太陽の熱気が入り混じって熱い。
生きているんだね。
ほんの10分間の交流だったけれど、彼の毛が吸った私のハートはずっとそばにいるだろう。
あなたが生きて、いつか向こうへ帰る時にはそのハートがあなたをある友人の元に導いてくれるよ。
同じような匂いがする白いむく毛のあの子の元へ。
きっと仲良くなるだろう。
そうだったらいいな。黒い色は覗き込むような色でもあるので、私は自分勝手な妄想を覗き見てさようなら、と投げキッス。
また旅に出よう。
終焉・ジ エンドの黒は、さよならと終わりを告げて。
またいつかの白に向けて。
2016 6/2
※この記事はCALEND-OKINAWAの連載「暮らしの中の旅日記」を再編したものです。
田原あゆみ 暮らしの中の旅日記