365 日々と意味
10月25日に家を出て、1週間の長くて濃い旅の日々。加賀、能登、金沢市、軽井沢、世田谷から羽田に向かうバスの中。今回は4つの企画展の打ち合わせと取材の旅。その後ちょっと息抜きを。振り返ると半月くらい経った気分。
遊びと仕事と趣味が1つになっているので、なんだかとても濃い時間の中にどっぷり浸かった金沢と能登。その後の軽井沢はオフだけれど、それも私を磨くための時間。気の置けない素敵な友人と過ごすのはなんとも切磋琢磨の極楽至極。これこそ私の人生の仕事のような気もする。なんでもいつでもミックスサンドで、切り離すなんてとんでもない。酸いも辛いも極甘も全ての味が必要なのだ。
日々の様々な景色の違いは、味や色が濃いか薄いか。 誰かに会ってその人の生きている空間や仕事、人柄や日々の時間に触れるのは面白く、やはり濃い時間になる。その人の世界を映した映像と、私の世界を映した映像が重なるような感覚だ。私の場合どうしてもそんな風に入って行く。それぞれの時間が重なって行く感覚がある。
写真はガラス作家の辻和美さんの作品。両手で抱えるほどの大きさの壺。365という数字が365日を表しているときいてなお好きになった。この子は近々私の元へ。
彼女のコンセプチャルな思考は私の思考とも重なるところがある。人生には意味を見いだすことが私にとっては必要なのだ。日々の中の世界は繰り返すようでいて1つも同じ1日はない。その瞬間瞬間は消え去るものもあるけれど、私の中に全てが染み込んで、ある一瞬に世界は姿を明らかにする。それが作品になるときもあるし、文になるときもある。いつもそばにいる人の顔がすごく美しく輝いて見えたり、怒りとなって現れるときもあれば、誰かといただく忘れがたい食事の時間になることも。ふと、意識が何かに集中して、「私」が世界を見出すような。そんな時間をたくさん垣間見た旅だった。
Shoka:にいるときも、こうしてエッセイを書くときも、事務所で裏方、取材、撮影、商談、ミーティング。娘との語らい、三姉妹朝モス、お掃除、散歩、スロージョギング 。どれもこれも私の人生の一部。
辻和美さんのこの作品に今回の旅を見ているような感覚が、今ある。辻さんいいお仕事をありがとう。2019年の3月に彼女とShoka:にてお仕事ができるのが今からとても待ち遠しい。
さてさて、また出来るだけ小話をまとめてまいりましょう。いつもの日々へ。もう直ぐ羽田から南下。私の島へ。