噂話

田原あゆみ 大人読本

今日は記念すべき日だ。

長年向き合ってきた大切な物語の序文を十数年かけてやっと書き始めたのだから。大まかなところは出来上がってあとは推敲したらいいだけ。もう何年も似たようなことをしているといえばそうなのだが、今日もわたしは感慨深い思いで一人胸を一杯にして二子玉川のスタバでノートパソコンを広げて悦に浸っている。朝の散歩を楽しむ大人たちが柔らかい光を楽しみながら、お気に入りのドリンクを一人静かに飲んでいるこの公園店の景色に溶け込むのが好きだ。今日はお昼過ぎに来たので朝の客層とはなんだか違っているなあ、背中を伸ばしてあたりを見回すと集中していた意識が外の世界へと向いてゆく。

伸びをして緩んだせいか、急に周りの音が耳に流れ込んでくる。なんだか背中にざわっと居心地の悪いものを感じて聞き耳を立てた。

どうやら私のすぐ後ろの席にはおばさま二人組が座っていらして、誰かの噂話をしているらしい。私の背中に向いて座っていらっしゃる方のおばさまが、高音のダミ声で前のめりで話している。一人は聞き役で、とても上手に相槌を打つ。だからある意味とてもリズムがいい。息の合った伴奏と歌い手の織りなす噂話ブルース。いや、噂話節。どうやら長い付き合いの友人Aさんとの事。長年積もりに積もった価値観のずれなるものに堪忍袋が切れそうだけれども、わたしは理性で理解しようと努力しているのよ、ああ堪らないけれどね、というような内容だ。ふむふむ。どうも一度気になりだすと、もう元の静かで平和だった一人の世界には戻れない。私の神経はもはや背後に釘付けだ。

私も女性に生まれてはや半世紀。おしゃべりは好きだ。しかも話すほうが断然好きで、いつもネタに飢えている。面白い話だと聴くのも大好きで、基本笑いたい。なので話の間が空くと必ず聞くのが「何か面白いことあった?」だ。ビバお喋り。なので、恍惚状態だったわたしの快感の時間が噂話節のせいで崩れたからといって、後ろに座ったおばさまたちの楽しみを奪うことも非難することもできない。そんなのいい人ぶったやなやつだ。

しかし、しかしだ。その喋る方の彼女の声や波動がどうも私の肩甲骨のあたりで渦を作って不快にする。わたしの天使の羽(肩甲骨)はその渦を侵入させまいとどんどん硬く閉じてゆく。ぐわ、危機だわ。もう無理、と振り向くと、眉間にしわを寄せたおばさまがいかに自分が正しいかというサビを高々と歌い出したところだった。歌はまだ中盤。これから後半に向け徐々にヒートアップして行くこと必至。私の肩甲骨の付け根は固く灰色に閉ざしてしまった。あの美しかった世界との繋がりは解け、噂話節の客席のど真ん中へと堕ちてゆく・・・。

いかんいかん、この人たちにとってもここは憩いの場。思いっきりうさを晴らしてもいい社交の港。私のつまらん気分次第の刹那的良識のせいで責めてはいけなーい。

そう言い聞かせてはみたものの、降参。私は天使の羽がもげる前に避難した。

 

が、まだこの明るい陽射しの注ぐこの場への未練が断てなくて、背後に人が座らないだろう入口付近のテーブルへと席を移す。

さあ、元の自己満足の世界に戻ろうと、わたしはノートパソコンを開いてキーボードの上へ指を配列。少し叩いてみる。が、しかし一度その噂話節とチューニングが合ってしまった私の耳は彼女たちの歌をどうしても拾ってしまう。自分が当事者になるとわからないこの「噂話節」の波動は、清らかな生き物を絶滅に追いやるほどのパワーがあるのだ。実際私の中に暮らしているハツカネズミや飛びうさぎ、もじゃ毛のワンコたちは隅っこで腹を天井に向けて虫の息。

ああ、いつだって太く逞しくなりたい。外界の影響を受けないくらいの軸が欲しい。そんな自分は生まれてこのかた半世紀。もう成長することはないだろう。

逃げようここを。そして、楽園を枯らしてしまう喧騒から離れて静かな場所へ・・・そうだ図書館へ行こう。

 

おしゃべり禁止のあの場所がサンクチュアリに思える梅雨の日。わたしは濡れるのが嫌になってUターン。家路につくのだった。

いろんな意味で意気地なしのわたしと一緒に帰り道しとしと。

 

2017年6月13日@二子玉のスタバにて

8月14日に編集


2017年08月13日 | Posted in 日々 | タグ: Comments Closed 

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