打たれ弱さ

大人読本 田原あゆみ

地雷を踏んでしまって相手を怒らせてしまう。そう書いただけで、じわっとじっとり。

どこに埋められているのかわからないから地雷には破壊力がある。だから踏んだ人の方が被害が大きのかもしれない。けれど以前は怒らせちゃった方が悪いというような思いの方が強かった。

周りの人からも「ああ〜怒らせちゃったよ」「面倒だよな〜これ。空気読めよ〜」というような圧が出るし、私の方は「ちがいますちがいます、そんなつもりはなかったんです。私あなたを不快にさせるようなそんなひどい人ではないんです」と、必死に取り繕ろおうとじたばた。しかし努力虚しくみんなが疲れちゃう案件へと陥ってゆくこと多し。

が、しかし。なんども失敗を重ねるうちに、ああそれって相手が怒りたくて怒ったんだな、と、あまり取り繕う必要を感じなくなってきた。なぜそう思うようになったのかというと、自分自身がそうだから。子育てをしていて何度か感じた。ああ、きっかけはなんでもいいんだ、と。すでに排出を求めてさまよう怒りの種が膨らんでいて、短い導火線装着完了。不運な誰かが着火、バーン。

怒る人には怒る人の、怒るに足るストーリーがすでにできているのだ。

そして、地雷を踏んだ方はいかに?というと、やっぱりライターを持って待ち構えている節がある。相手を怒らせるに足るストーリーがひっそりひひひっと潜んでいるものなのだ。ここのところなんとも際どいところだけれど、怒らせる方もやっぱりばれてドッキリ確信犯なのだ。

「いやー知らなかった、こんなところに地雷が埋まっていたのね〜〜」としらばっくれても、自分の心の奥では舌をぺろっと出しているものだ。私の話ですよ。

いい人を演じて「違うの違うの、私無害です〜〜」と右往左往していた時には、相手の感情と独り相撲。いかんせん人の感情なのでこちらは妄想するしかない。なので結局のところほら独りどすこい。一人で殴ったり蹴ったり大立ち回りでもうヘトヘト。しかも私は牡羊座のせいか、弱っていたら洞窟に引きこもって出てこなくなる四つ足系。元気なところしか人に見られたくないかっこつけ。うざいけれど、この世でたった一人別れられない人が自分自身。付き合うしかないのだ。この先もずっと。

そうやって自分と付き合ってきて、はや半世紀。この打たれ弱い丸裸の心に嫌気がさすこともあるけれど、その都度気づきがあったりネタができたり。このガラスの心が私の人生の羅針盤でもあるんだな、と。そして、いいじゃないか、と思う。

怒ったり怒られたり、誰かの動線に着火したり、引きこもったり、急に元気になって外に飛び出したり、また打ちのめされてぺろぺろしたり。人間らしくていいじゃない。大事なのはそうやって景色が変わっていっているということ。それを見ている自分をよしよしできること。自分が自分の味方にさえなっていたら、世界はちょっと生きやすくなる。わかっていたらいいんだと思う、やなとこもある自分がそれだけじゃないっていうことを。

「あんたなんか大嫌い!」

「ええ〜そう?私は結構好きだな〜」

「私のこと悪いって言ってるの?ひどい」

「いやいや〜、なかなかいいやつで、ほらこの間も子犬の画像見てかわいすぎると泣いてたし」

こんな感じか。

いいのよ、今嫌われても、ね。相手のこと好きだったら、それでいいじゃない。思いは一方通行で、見返りを求めるから辛いんだし。距離を置いて、やっぱり大事な人だなあ、と感じたらいつかまた再会した時に、会えて嬉しいって笑顔を発信したらそれでいいじゃない。

いいのよ、いいのよ、それでいいのよ。ね、だからしょげていないで、伸びていないで、今日はお外に出ましょうね。

ね、わたし。

 


2017年08月16日 | Posted in 日々 | タグ: , Comments Closed 

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