スイス・アーミー・マンと漂う心
観終わったあと心漂う映画だった。
途中身体をくの字に曲げて笑ったし、手も叩いた。音は出さないように。
途中ちと退屈にもなったけれど、映画ゆえのファンタジック感も楽しんだし、ダニエル・ラドクリフ君がなかなかいい仕事していて、感心もした。いい屍体ぶり。思い出すと、役者魂がすごい。唸るほど。
しかし、あまりにはっきりと刻印されている有名人の顔というものはストーリーを味わう上で邪魔になるな、とも時々感じた。
映画の感想はしかし、なんといったらいいのだろうか?
みんなどこか変で、自信がなくて、何かから逃げた過去があり、引きずっていたり現在進行中だったりするのだろう。私もそうだ。今まさにそんな感じ。 世の中のみんなが期待しているのは、そこで勇気を出して行動したら、こう展開した、というようなオチ。そのオチはポジティブだったり、ネガティブだったりどちらもあるけど、望まれているのはポジティブな着地点。だから映画や小説のほとんどはそんなストーリーがほとんどなのじゃないかしら。世の中って。
だからその型から外れたようなラストがなんともいえなくて・・・漂う心のままに最近人気のチョコレート屋さんへふらふらと向かった。
そういえば、あの映画のネタのどれもかしこも日常的な感覚からははみ出していたかも、と、北谷の海辺を歩きながら思う。波の反射や、観光客の国際色豊かな言語と声音をぼーっと聴きながら、足が私を運んでくれる。ふわふわ、と。
観光の方かしら?垢抜けた人がいるなあ、と近眼の目でチラチラ見ながら歩いていたら、「あゆみさん?」とその人に呼び止められた。可愛い赤ちゃんを連れたその人は髪の毛を切って雰囲気が変わっていたので気付かなかったけれど、久しぶりに会う知り合いだった。
あら、嬉しい。ちょっと現実の世界に心が戻る。白くてピチピチの赤ちゃんのほっぺ。可愛い夫婦とおしゃべりをしたあと、アイスココアを飲みながら帰途につく。
家についても未だなお私の思考も心もあのラストシーンを漂っている。あの映画のキーワード、変人・気弱・引きこもり・おなら・死人・孤独・一人芝居・ファンタジー・コミュニケーション障害者とその家族・不条理・奇想天外・ありえないけど身近な感覚。なんだか自分とも重なって、その重なったところを追いたいのだけれど、どうやら途中からなんともいえない解離感がやってきて、私はふわふわと浮遊。
登場人物たちそれぞれの最後の表情がよくわからない。未消化。いや、消化はきっとずっとできないのだろうな。そんな感覚にしてくれるのも映画の醍醐味なのかも。
いつもはオチを作って着地したい私だけれど、今日は不時着にて失礼。