優しい人

T氏は紳士だった。

娘の部屋が決まり恒例のご挨拶。小柄で上品な顔をしたおじいちゃまは同じ大学出身の子がうちに下宿するということでたいそう喜んでいらした。立ち話を15分ほどしたかしら、その後少し黙ってから弾みをつけたように「鰻食いに行くか?」と誘ってくださった。その数ヶ月前に骨折したそうで、小さな歩幅で水平歩き。二子玉から渋谷まで大丈夫かしら?と心配しながら歩いたものだ。彼の言動は茶目っ気とやさしさが軸になっていて、要所要所で「トイレ大丈夫?」と聞いてくる。話を聞いて行くうちにその理由を察した。年上の奥さんが先に逝ってしまったこと。確か6歳ほどの年の差。最後はきっと彼女のサポートをしていたのだろう。どこへ行ってもトイレがどこにあるのか確認し、「トイレ大丈夫?」と彼女を気遣ったのだろう。数度目からは背景を察してなんだか涙がにじんだ。

少し高い声で嬉しそうに喋る、つぶらで穏やかな瞳、はっとするほど美しい手元。渋谷のハチ公口の壁画は僕の設計なんだよ、と。駅のKioskの設計、大阪万博で3つのパビリオンを掛け持ちして監督したこと、などなど。高度経済成長期に活躍した話を楽しそうに話してくれた。そんな話がおとぎ話のように感じるのは、彼があまりに浮世離れした無欲な妖精のような人だから。

渋谷では彼に設計してもらったという鰻屋の社長が出てきて、「こんな優しい男はいないよ。あんたたちいい大家さんにあたったね」と。

あれから1年9ヶ月。

娘は寂しい時には大家さんの家でお茶を飲み、たまに一緒に食事をしていたそうだ。買い物に行ったからと言っては、果物やお菓子や、餃子。時には下味をつけたお肉を一枚一枚ラップで包んで「冷凍庫に入れときな。若いからお肉食べなくちゃね」と持ってきてくれたそう。どんなオートロックより、こんな風に可愛がってくれる人が周りにいることが一番彼女を守ってくれる。私はそう感じ、稀有な出会いに感謝した。

娘から電話があったのが一昨日の夜。T氏が亡くなってしまったと。

私も娘も絶句して、ただただ涙が流れてきた。亡くなった彼が不憫で泣くのではない。会えない悲しさ、寂しさが身体の臓腑をぐっとよじるのだ。

「最後に会った時、晩御飯をご馳走になったの。何が食べたい?と聞かれて「シャケ」と答えたら、サーモンのバターソテーを焼いてくれたんだよ。美味しかった。その時Tさんが嬉しそうに『こんな風に二人でご飯を食べってっと、まるで奥さんが帰って来たみたいだなあ』って言ったんだよ。『いや〜、私たちだとおじいちゃんと孫でしょ〜』ってこたえて、二人で笑いながらご飯食べたんだよ。」

きっと今頃奥さんと再会して、いろいろな話をしているだろう。天使は天に帰ったのだ。


2017年11月23日 | Posted in 日々 | タグ: , , Comments Closed 

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