困惑
セラピストと患者とのセッションがベースになった海外ドラマを観ている。一話25分ほどなので何かの合間に観やすく気に入っている。
今日観た回で主人公のポールが窮地に立たされた。患者自身が操縦していた飛行機の事故で亡くなってしまったのだが、それが自死の可能性があり患者の父親に訴えられてしまったのだ。セラピストが職場復帰の時期を見誤ってしまったせいで、息子は死んでしまった。そう思い込んでいるのだ。
ポールは弁護士のところへ相談に行く。すると、その患者とのセッションの記録は取っていますか?それがあれば陪審員も納得するでしょう、と。しかし、ポールは記録をこの15年間全く取っていないという。窮地に立たされるポール。私もほんのり脂汗。
ピンチだ、いったいどうなるんだポール。彼は心を砕いて患者に寄り添ってきた。患者の死を重く受け止め、彼自身も苦悩していた矢先だったのに。離婚してひとりきりの孤独な今の状態に追い討ちをかけるようなそんなことが人生には起こってしまうのね。
昼食の準備をしながら、私は頭も気持ちもポールのことでいっぱいだった。
そこに久しぶりに登場したのは、血の繋がらないおばあちゃん。血縁ではない叔父のお母さん。どうやら一緒にドラマを見ていたらしい。
「ねえ、あゆみちゃん、あの先生大変よね。もう気になっちゃって」
「ねえ、本当にどうなるんでしょうねえ。セッションの記録を取っていないらしいから、それって裁判ではすごく不利なんだと思う」
「記録していないって言ったわね。けど、ほらビデオがあるでしょう?あゆみちゃん録画していないの?」心配そうにおばあちゃん。
「え??あれはドラマの中でのことだから、その中では記録していないという設定よね?」ちょっと驚きその視点。目を点にして私。
「そうなのよ、あの人たちそのことに気がついていないみたい。それで私なんとかしてあげたくてね、思いついたのよ。録画している人いるんじゃないかしら?きっと有名なドラマでしょ?他にも見ている人いっぱいいるんでしょう?きっと」役に立てるかもと目を輝かせて、おばあちゃん。
「・・・・おばあちゃん、だからさ、あれはほら、ドラマだから」・・・なんて説明したらいいんだ・・・
その時私は思い出していた。おばあちゃんと私たちでディズニーランドに行った時のことを。30年ほど前のこと。私たちは当時話題のマイケルジャクソンの立体映像を流すキャプテンEOを一緒に観たのだった。3Dメガネをかけて観る映像は鮮やかで、画面から飛び出してくるキャラクターや者たちの臨場感はたまらなく刺激的。みんな声を出して盛り上がって観ている。ふと横を見たら、おばあちゃんはにこにこしながら身を乗り出して手を伸ばし、立体の画像を掴もうとしていた。ふふ、おばあちゃんたらかわいい。
見終わって外に出たら、
「もうぶつかるかと思ってヒヤヒヤしたわよ。ねえ、前に座りすぎたんじゃないかしら?」
本物の物体が飛び出していたと思ったらしい。しばし無言の後私たちは説明するのをやめた。そのままの方がファンタジックだと感じたからだ。
あの時の付けが今頃になって回ってきたのか。
心から心配そうにしているおばあちゃんに一体どうやって、ドラマのことやあれが事実ではなくて、撮影されたのも何年も前で、虚構のお話でと説明したらいいのか。そして、録画してそれを届ける役目は私なんじゃないか?とちょっとびびった。困惑。
そして、昼食は出来あがりお気に入りのお皿に盛り付けるとともに、現実世界へ戻ってきた。
おばあちゃんは本当にかわいい人だった。ごくたまにしか会わない人だったけれど。おばあちゃんは今はお空の上。今日はどうも久しぶりに私と過ごしたかったみたい。
そうです私の空想のやりとり。
海外ドラマをベースに夢想した虚構ドラマは幕をおろし、私はなかなか上出来のガパオの上の目玉焼きをスプーンで割った。
美味しい午後。