クリスマス小話
心通う人がいたら一緒に過ごしたいクリスマスイブの夜。
今年は食養生でお酒もこってり料理もタブーな私。そんな日があってもまあいいよ。
そんな朝、友人から届いたXmasのメッセージと映像。
若い頃のデビッドボウイのうるわしいこと。歌声の堂々とした響き。しびれたのでおすそ分け。
私自身はそんなに率先して行事に盛り上がるタイプではないのだけれど、街が賑わって人々が高揚する感じは嫌いではない。それより何より、サンタをいつ手放したかという小話の方に気が向く。
私の場合は以外にも遅くて10歳の時。クリスマスツリーをちかちかと、家族全員で祝っていた。卓上にはケンタッキーフライドチキンやオードブル、子供用ノンアルコールシャンパン、バヤリースのオレンジジュース。大人はお酒。典型的な沖縄の庶民クリスマス at 昭和。
私へのプレゼントは補助輪付きの赤い自転車。サンタさん大奮発。年中半袖半ズボンで走り回り、アーケードの天井に登ってコザの一番街のアーケードの屋根は私の縄張りとばかりに子分たちを引き連れて高いところをあっちへこっちへと遊びまわっていた私は、近所の人からは将来女子プロへの道に進に違いないと言われた。ショートカットを七三に分け、いつも石原裕次郎を意識。たまに百恵ちゃん。そんな私だが、まだ自転車はもっていなかった。なのですごく嬉しくて、ぽっちゃりホッペを真っ赤にして喜んだ。今度は地上を制覇だ、と。
私がサンタさんにありがとうを連発し、はしゃぐ姿を見て母は悔しくなったのだろう。
「あんたね、何言ってるの?これはお父さんと私が買ってあげたのよ。もう大人みたいなもんなんだから言っとくね、サンタさんは親なのよ」
三白眼で顎を上げて言い放ったその言葉に時は止まり、世界からファンタジーは崩れ落ちた。途端にきらめきが消えたあの日のクリスマス。食欲と、物欲の欲望だけが残ったその後のクリスマス。
横にいた妹は当時5歳。早かったね。
そう、私たちは現実に目覚めたのだった。まだ恋人がサンタクロースも知らない頃の青いお話。
けど、まあ大人になって娘を育てながら私も頑張った。娘がサンタさんがいると信じ続けられるように裏であの手この手。
その話は明日にしよう。「ネタは小分けに」。これも大人が現実社会で学んだ浅知恵の一つ。