人と場所の関係

歩いた歩いた東京の街から街へ。京橋から吉祥寺、代々木上原、宝町、新橋へ。
様々な空間と作品や製品を見ながら、一番は誰がそこにいるのかなんだと感じた。誰がどのような意識や心を持ってそこに関わっているのか。それはとても大事なことだ。空間もものも人が作るもの。その人の在り方で全くその空間から伝わってくるものが違うのだ。

そこに関わっている人が誰かと自分が大切に感じているものを分かち合いたいと思っていたら、お互いの目が明るくなるようなやり取りが生まれる。形の有無に関わらずお互い何か得るものがあるだろう。一つ一つの交流はささやかなものなのかもしれないが、それが多ければ多いほど人生は豊かな美しいものになるはずだ。

しかしその空間にいる人が誰かよりリードしようという思いが潜在的にあった場合、そこは居心地の悪い場となってしまう。そこを出るときに大なり小なり消耗感を感じ、もやっとしてた後味の悪さが残る。同じ場所や人でいつでもそうなるというわけではない。相性もあるしタイミングもある。疲れているときだってみんなあるのだから。

けれど、せっかくお金や気持ちを注いで誰かを迎えるための場が生まれたのならば、そこを作った人もそこで働く人も、訪れた人の日常を明るくするようなやり取りを意図することはとても大切なことだと思う。本来公の場はそんなオアシスであってほしい。客は店を出るときに、働く人は店を閉めて帰るとき、微笑みを浮かべ胸を張って家路につけるなら、その日その場はオアシスになっていたのだとおもう。

そう今回の東京の旅の初日、私たちは様々なショップやギャラリーを訪れた。その一軒一軒の扉から出るたびに感じていることを味わった。スキップするように出て、何度もお店を振り返ってスタッフの人に手を振ったところ。入ったと同時に拒絶感を感じて10秒未満で出たところ。お店の人と会話を交わすたびに心のバラがうなだれて枯れてゆくようなショップもあった。

私も過去を顧みて走り出したいくらい恥ずかしくなった。ああ、あの頃イキがってたなあ、あああの頃は暗かった、ごめんなさい。と、身悶えつつ恥ずかしい分前よりはマシだからと励まして慰める。私も例に漏れず社会人の一員、ショップオーナーとして例外ではないのだ。その一人として言いたい。みんな感情を持つ人間だもの調子のいい日も悪い日もある。体調だって関わるし、恋人との出会いや別れや身内の不幸、人生色々な事が起こるのだから。笑えない日だってあるだろうし、消えて無くなりたく感じる日だってある。だからこそ暮らしを明るくするようなやり取りが生まれるオアシスが必要なのだ。そんな場を作っていきたいし、私自身も移動するオアシスを心がけたい。

ギャラリーもセレクトショップも、ジュエリー店、カフェ、喫茶店、レストラン、バー、人が集うところは全てオアシスであってほしい。主役はやはり人なのだ。

そうしみじみと感じた一日。


2017年08月30日 | Posted in | タグ: Comments Closed 

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